昭和61年生まれ 吉祥寺の美容師 松岡です。
人生の大半を平成で過ごして来た私。
その平成が終わろうとしている。
そんな時にふと平成を振り返りたくなりました。
32歳の私が勝手に平成を振り返ってみたいと思います。
そこで最初のテーマを考えたところ、ぶっちぎりでこれしかありませんでした。
『ポケットモンスター』
略してポケモン。
30歳前後の日本男子でポケモンをやったことない人を見つけることは五つ葉のクローバーを見つけるより困難です。
恐らく1000人中999人はポケモンをやっています。
このポケモンのせいで我々の世代の偏差値は3くらい低下したのでしょう。
それくらいに幅広い人間に受け入れられて
『ゲームで友達とコミュニーケーションを取る』
という分野を世の中には広めた作品です。
手のひらに収まるゲーム機で単3電池4本で起動し、ケーブルを繋げば友達とポケモンを戦わせたり、交換出来たり。
リアルコミュニケーションとデジタルコミュニーケーションがうまく融合していました。
有線でしか繋がらないので、友達とは会わないといけません。
自分達が必死に育てたパーティ達は僕達にとっては『アバター』
そう、自分自身の努力の結晶が6匹というパーティに集約されているのです。
強ければいいというものではない。
好きなポケモンを使い、どんな技を覚えさせて勝てるポケモンにするのか?
ゲームを何周も何周もして感覚を磨いていくのです。
技マシンは一度きりしか使えない。
10万ボルト、れいとうビーム、だいもんじ、サイコキネシス、あなをほる、じしん。
秘伝マシンは使うと一生後悔する。
トライ&エラーを繰り返し、遂には
【ちいさくなる&どくどく】
【かげぶんしん&つるぎのまい】
そういった達人の境地に達する。
四天王を倒すことが目的だったのが、次は図鑑を完成させる為に赤、緑、青、ピカチュウ、全てのバージョンを揃え出して、それを達成するととにかく最強のポケモンを育てる為に個体値を気にし始め低レベルから育て直す。
そうこうしていると『金・銀』の発売、そしてクリスタルへ。
そうしてポケットモンスターという大きな運河は現在まで形を変えながら続いている。
小学時代、No.151の幻のポケモン『ミュウ』を手に入れた浅海くんち10人以上で押し掛けて、裏技でミュウを増やしまくった事は一生忘れないと思う。
新築の浅海くんちで浅海くんのお母さんは嬉しそうだった。
浅海くんは自慢がだった。
あの日は浅海くんはヒーローだったのだ。
その日以来、浅海くんちに遊びに行ったことはない。
『ミュウ』がいなければ行かない。
しかし、その『ミュウ』の為になら僕たちは自転車を漕いで何処までも行っただろう。
友情の形すら変えてしまう『ポケモン』
努力と目的の達成の為に頭を働かせる事を教わった掛け替えのないゲームである。
ポケモンさえなければ僕はもうちょっとマシな高校に行って、別な仕事をしていたのかもしれない。
なんと恐ろしい。
ポケモンのお陰でこうして美容師をできているのである。
ありがとう、ポケットモンスター。
平成から令和になっても子供達のベストパートナーでいてください。
最後はこの一言で締めたいと思います。
『けつばん』
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